root diary

日々、なんか感じたことを書きます

発見

私はかるーい鬱である。(この言い方は鬱病で真剣にお悩みの方に怒られるであろうことは承知である。)

 

鬱というか、不安症?を抱えている。

具体的にどんな症状かというと、あがり症というと分かりやすいかもしれない。

 

あがり症っていうのは、一言でいうと緊張しやすいっていうそれだけなんですが、原因に関しては非常に多岐にわたる。

 

たとえば、完全主義からくるものであったり、他人の視線が気になるというのもあれば、吃音症からくるものなんかもあって、原因は千差万別だ。

 

自分の場合は、人に向けて喋る(目の前に人がいる状況でない場合も含む。)のが苦手っていうのと、他人からの視線が苦手という大きく分けると二つの要因がある。

 

前者に関しては割とはっきりしてて、小学生の時音楽の授業中に前に出て歌った時に下手くそだった私の歌を聴いてクラスの生徒が苦笑していた経験と高校生の時に授業中の音読で息苦しくなるくらい心臓がドキドキして声が震えた経験が理由としてあげられると思う。

 

しかし、後者に関してはなんの経験から視線恐怖(と専門的にはいうらしい)になったのかとんと思い出せない。でも、今日本を読んでてなんとなく腑に落ちたような気がした。

 

私は高校生くらいの頃から、女性を求め続けていた。て書くとなんか文学的だが、ようはやりたい!と思い続けてきた。なので、かなり頻繁に自分から女性に連絡をとり、その返事を待ち続け返信が来たらすぐ返すということを繰り返してきた。本当に振り返ってみて、そんなことばかりしていた。

結果、やれることもあったが当然ダメなこともあり、ダメな場合はわかりやすいもので相手からは返信も来なかったりする。

 

これは自分でも知らず知らずのうちなんだが、そういった経験をし続けてきた結果その無視される状況から自分に対する自信を無くしてきてしまったようなのだ。油で汚れたお皿に洗剤を垂らした時のように。じわじわと。(文学的)

 

どういうことかというと、こっちが必死こいて何回も連絡しても相手は気が向いた時くらいにしか返事をくれない。自分という存在は相手にとってそれくらいの価値しかなく、ちっぽけな人間なんだなと相手の中に自分の価値を見つけることしかできなくなっていたのだ。存在の耐えられない軽さ。

 

それが分かって少しだけだけど、前向きになれたような気がした今日でした。